では、さて、 いよいよ、ご亭主のお点前が始まります。
ここでは、お菓子とお茶がふるまわれます。
お菓子は季節の移ろいをその色や形に移したものが,多く見られます。
春なら桜の花びらを模ったもの、 秋なら色とりどりに紅葉した木の葉を ちりばめた吹寄せ。
そして、お茶碗の中でひときわ美しく映えるお茶の緑。
私たちの視覚を楽しませてくれるものには、もう一つ、 時間とともに変化する光や影があります。
さまざまなお道具たちは、言うまでもありません。
そしてそれらは、移ろう光を浴びて様々な表情を見せてくれます。
お茶道具、 特にお茶碗は、どんなに貴重なお宝であってもその中にお茶を入れ、 直接私たちが手に取り、そこからお茶をいただくことができるのです。
お茶碗の肌触り、重さやぬくもり。 手から手へ大切に一つ一つお渡しする。
そんなお道具たちとの出会いを通じて、 私たちの身体感覚、嗅覚、聴覚、視覚、体感覚、そして味覚。 全ての感覚は、ゆっくりと目覚め始めます。
あえて言葉を使わないことで、 より多くの感覚を研ぎ澄ますことができるのでしょう。
では、研ぎ澄まされた感覚を使うとどんなことが起こってくるのでしょう。
私たちは五感、つまりあらゆる感覚を使って外界からの情報をキャッチしています。
もしこの時に感覚が洗練されていたら、 私たちが受け取る情報の質が違ってくるはずです。
茶聖、 千利休* は、お湯がわく音を五つに分類していたそうです。
それは、微細な変化に気づくということ。 物事は一瞬たりとも留まる事はありませんから、 そのわずかな変化をとらえる感性が、 類まれな美意識を育み、高い精神性の具現化を促進したに違いありません。
そしてその茶の湯は、戦国大名を魅了し、 その後、近代にいたるまで、 ずっとリーダーや成功者、知識人たちを虜にし続けたのです。
勿論、現代の私たちも…。 どこがそんなに魅力的なのでしょうか…。
千利休(1522~1591)
安土桃山時代の茶人。侘び茶の完成者。信長、秀吉に茶頭として仕えた。
茶道としてその精神は現代にまで受け継がれている。
和・美・場
日本人は古来より、その美しさを価値判断の基準としてきました。 潔さ、もののあわれ、滅びゆくものへの愛しみ、生まれゆくものへの祝福など、 在り方としての美しさを愛でてきたように思います。 そんな日本人が持って生まれた美しさへの思いを共有し、形にするところ~が、和・美・場~です。 和・美・場では、茶道を通して日本の美しさ、日本人の美への希求を分かち合いたいと思います。
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