和敬清寂


お茶の精神を表す言葉としてよく知られています。


       和 敬 清 寂

和は、平和、調和、和合です。


聖徳太子は、十七条の憲法の最初に、

和を以って貴しとなす。

と明記しています。


和は日本の心、日本人の持つ美徳です。


そしてまた、和は穏やかさも表しています。


互いに思いやり、すべてのことに調和がとれている状態です。


ありとあらゆることやもの、

お茶室では、道具、環境(温度や湿度、明度、光)

人々(主・客、客どおし)、自然が調和しています。

人は、ひとりひとりは個性のある別の人格ですが、

出会い、共にいることで全く違ったものや事、

場を生み出すことができます。

 

道具たちも同じです。                    

一つ一つは別のものですがそれらが出会い融合しそして、

違った環境に置くことで、

互いが引き立て合いながらも調和し、

融合することで全く違った場ができ上がります。

それこそが調和、ハーモニーです。



敬は敬意、敬う心です。


互いを大切にし、丁寧に対応することで、

謙り合う気持ちが生まれ、穏やかで和やかな世界を創り出すことができます。

人に対してばかりでなく、

モノやこと軸、花、道具に対しても敬い、

尊重することで、今あることに感謝する心にも通じます。


道具とは、道を具するもの~

具する。 

  ㋐必要なものが備わっている。そろう。

  ㋑連れて行く。一緒に来させる。

意味

  つまり、道を行くのに、

  必要なものやことを伴って、連れて行ってくれるもの

  という意味でしょうか?

  それらすべてを大切にするということも含まれています。


イチロー選手は、道具を大切にすることで、よく知られていますが、

  モノやことに魂が宿ると感じる日本人の道具に対する考え方は、

  西洋の人々には、新鮮だったのかもしれませんね~

  道具を道を歩く際に共に歩むものという、捉え方だったのでしょう。

  まさに、求道者~ですね。



清は、清らかさ、清潔、清浄に保つこと。


茶室にある道具は清潔に洗い清められ、

茶室を取り巻く路地や庭も、掃き清められています。

その中に身を置くと浮世の穢れや汚れから心を解き放っているようにも

感じます。心も同時に清められているのでしょう。


点前では、道具を清めるということをいたします。

袱紗という絹の布で、道具を一つ一つ、優しく、拭き清めます。

道具と同時に、心も清めているのではないでしょうか?


亭主と同時に客の心も清められているのでしょう~。

浄化・・・。またそこから美しさが生まれます。



寂は、何物にも動じない心。魂の平安。


エゴから開放され、平和でおち着いた澄み切った心の状態です。

侘び、寂びとあらわされる心の状態でもあります。

  わびは、簡素で質素な中に現れる、美しさ~

  何も手を加えない加えない自然。

  さびは、そこに時間的な経過を加えて、繋がりゆく生命。

  

  空、無とも。禅の真髄であり、茶の精神でもあります。

    和敬清寂には、茶道のこころが込められています。

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日本人は古来より、その美しさを価値判断の基準としてきました。 潔さ、もののあわれ、滅びゆくものへの愛しみ、生まれゆくものへの祝福など、 在り方としての美しさを愛でてきたように思います。 そんな日本人が持って生まれた美しさへの思いを共有し、形にするところ~が、和・美・場~です。 和・美・場では、茶道を通して日本の美しさ、日本人の美への希求を分かち合いたいと思います。