お道具の拝見が終わると、道具は亭主に戻されます。
亭主はそれらの一つ一つの道具について、由緒や薀蓄、説明をいたします。
お客さまも聞きたいことを尋ねます。
お茶会にはテーマがあり、亭主はそのテーマに沿って様々な道具を揃えたり組み合わせたりいたします。
テーマは、季節や行事、お祝いや披露など様々なことが取り上げられます。
そこには決まりごともあれば、亭主の自由裁量に任されていることもあります。
年の初めのお茶会は初釜と呼ばれ、お正月にちなんだおめでたいものや、その年の干支を模ったものなどを合わせます。
そのお道具についてお客様は、様々なことをお伺いします。
それは亭主が心をつくして道具を揃えて下さったことに対する感謝でもあるのです。
薄茶席であれば
棗と茶杓が拝見に出されます。
棗
お客様は、棗の形、塗り、お茶杓の作者、ご銘を尋ねます。
茶杓
こういった問答や、勿論、茶会の始まりからのさまざまなやりとりもふくめて、茶会は、亭主とお客様が共に創り上げるその過程に価値があるのだと思います。
茶は純粋と都雅(上品)を崇拝すること、
すなわち主客協力して、このおりにこの浮世の姿から
無上の幸福を作り出す神聖な儀式を行う口実となった。
岡倉天心【茶の本】
亭主は一服のお茶を美味しく味わっていただきたい。
という目的のためにその準備を始めるところから、お茶会は始まっています。
そしてお客様は、その亭主の心づくしを如何に受け取り愉しめるか。
それはお客様の力なのです。
おもてなしは、亭主だけが行うのではなく、お客様とのやりとりの中で行われます。それには亭主の思いに応えるお客様、そのお客様に添う亭主がいてこそです。
勿論お客様がお茶に関して様々なことをよくご存じであるにこしたことはありませんが、そうでなくてももっとさまざまなやり取りがあってもいいと思うのです。
そして、そのときのやり取りは言葉だけではないかも知れません。
そこにあなたと私がいることが、もうすでにさまざまなやり取りを行っているということなのですから。
初めてでしたら、お茶会ってどんな場なのだろう。体験してみよう。という目的を持って参加しましょう。
慣れてきたら、茶会に参加する、つまり、亭主が共に創り出そうとしている場に加わってみましょう。
そのために亭主、連客に添う。心を合わせよう。
という意図を持ってみましょう。
そうすると、私たちの脳はとても優秀なので茶室でのさまざまな体験=無意識へのアプローチをとおして、感覚・感性を開いてくれますから、あとは何も考えず、迷わず、あなた・私自身でいればいいのです。
目的を決める、意図をはっきりさせる。
ここにいきたい。
ここに行くにはどうすればいいのだろうか?
質問すると脳は、その答えを自動的に探し出して私たちを導いてくれるのですから…。
そして、その時の心のあり方は、何ものにもとらわれず、とても自由だと思うのです。
和・すべてのものに調和し、
敬・あらゆるものを大切にし、
清・とらわれない素直な心で、
寂・おちついた静かな境地。
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和・美・場
日本人は古来より、その美しさを価値判断の基準としてきました。 潔さ、もののあわれ、滅びゆくものへの愛しみ、生まれゆくものへの祝福など、 在り方としての美しさを愛でてきたように思います。 そんな日本人が持って生まれた美しさへの思いを共有し、形にするところ~が、和・美・場~です。 和・美・場では、茶道を通して日本の美しさ、日本人の美への希求を分かち合いたいと思います。
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