お茶のお稽古をするときも、お茶会やお茶事に参加しても必ず 役目 があります。
お茶のお稽古のとき、お点前をお稽古するのは、 亭主役の稽古です。
つまりお客様をおもてなしする。お茶をお点てするのをお稽古しているのです。
その時は、亭主としてお客様のことや、その場全体のことに気配りをしながら稽古をいたします。
なかなかそうは行きませんが、茶室内の温度や湿度から始まって、どなたがお茶を召し上がってどなたがまだか?お菓子はちゃんといきわたっているのか?参加予定の方は皆さんおそろいか?などなどです。
ひとつのことに集中しながら、別のところにも気を配る。意識は自由自在に動かねばなりません。
これが中々難しいのです。お客様とお話しながら、お点前するには、その動作が無意識レベルで行われていなければなりません。
自動車の運転もそうですよね。自分で意識しながら考えながら運転しているときは、まだまだスムーズな運転とはいえません。考えなくても手が動く。無意識レベルで自動運転になっているとき、初めて考えなくてもできるレベルになっています。
この学びの段階は、四つに分けられます。
最初の段階は、自分で気付かず、まだ何もできない状態です。無意識の無能の状態です。
まったく何もわからない状態、まだできない状態。まだ何も始っていません。
次に、気づいていてもまだ何もできない状態です。
やりたい気持ちはあっても、まったくできません。意識はしても出来ていない状態です。有意識の無能です。
そして、やっと、自分で、考えながら一つ一つ確認しながら出来ている状態。有意識の有能です。
でもまだ、スムーズにはできません。
そして最後が、考えなくてもできる、無意識の有能。ここまで切ると運転しながらお話しできますし、音楽を聴きながらでも運転している状態です。
この状態、全ての事がフリーハンド・手ぶらでできるようになって初めて、身に付いた。といえるのです。
ここまでゆくにはやはり相当の鍛錬が必要です。
しかしながら、本来、お茶の席はそんな状態で行うもののようです。
亭主はお客さまとお話ししながら、全体の様子に気を配りながら、進めてゆくからです。
そしてこの無意識の有能状態が、もっとも集中した状態が、フローと呼ばれている状態です。
ハンガリー生まれのチクセントミハイ教授が提唱した、我を忘れて没頭するフロー状態です。
そこでは時間の観念は、通常とは違っていて、あっという間に時間は過ぎ、承認や報酬が目的ではなく、達成すること自体が目的となるのです。
フローとは没頭でもあるといっています。
もちろん茶席では、いつもフロー状態というわけにはいかないようですが、でもスポーツ場面ではよく耳にしますし、実際体なさった方はおいでになるでしょう。
たとえば良くお相撲さんが、取り組みについて尋ねられた時、よくわかりません。と答えていますよね。
以前、桑田真澄氏は、インタビューでPL学園時代に甲子園でトリプルプレーを達成したことに事を話していましたが、その時はまったく覚えていなくて、後で「あれは、トリプルプレー」だったと気付いたそうです。
その時は野球の神様が自分にやらせて下さったというようなことでした。
まったく意識せずに身体がそのように動いているのでしょう。
まさしく無意識の有能です。身体知と言われているからだが覚えている状態です。
そのレベルまでいって初めて本当にお茶を楽しむことができるようです。そういう意味からもとても深くて長い道のりです。
そんなことを目指しながらお稽古しますが、日々のお稽古の時も亭主役で、お点前をお稽古したかと思うと、お客様役になったり、御水屋を担当したり、様々な役割を交代で御稽古します。
それはやはり様々な役目をこなしていろんな方向からアプローチできるからでしょう。どうしても最初は、亭主役でお手前のお稽古に意識がいきがちですが、お客様役をやってみて初めてお茶はお客様と亭主が共に創りだす空間だということが分かります。
お客様がいらして初めて亭主はおもてなしが出来るのです。当り前なのですが忘れがちです。
そこには与え受け取るという関係が成立します。
それは、良いお客ぶりということ。
お客様になると先輩がお点前して下さると遠慮してしまい十分受け取ることができなかったりします。
それはかえって失礼です。
お客様になったら、おもてなしを十分に受け取ることが良いお客様ということです。
もったいない申し訳ないという感情は、立場や役割によって柔軟に選択する必要があります。
これは国際線の機内でもよく感じたことです。上手にサービスを受け取ってくださる方は、こちらもとてもサービスがしやすいのです。
良いサービスを受けるコツは、良いお客様、
つまり喜んでサービスを受け取れる人になることです。
良いお客様になるにも鍛錬が必要ですね。
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和・美・場
日本人は古来より、その美しさを価値判断の基準としてきました。 潔さ、もののあわれ、滅びゆくものへの愛しみ、生まれゆくものへの祝福など、 在り方としての美しさを愛でてきたように思います。 そんな日本人が持って生まれた美しさへの思いを共有し、形にするところ~が、和・美・場~です。 和・美・場では、茶道を通して日本の美しさ、日本人の美への希求を分かち合いたいと思います。
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