お茶室にたどり着くまでには、さまざまな過程があります。
まずは、玄関を入り、寄付き(身支度を整える玄関先の部屋)で、
足袋、洋装の場合は、靴下の履き替え―道中で汚れたものを履き替えます―
茶席で必要なものをそろえて、それ以外は、まとめておきます。
そして、待合といわれる部屋で他のお客様と顔あわせし、
白湯をいただきます。
案内があったら、今度は腰掛待合へ。
室外に設けられていることが多く、お庭の風情が楽しめます。
そちらで腰掛けて亭主の準備が整うのを待ちます。
このころから少しずつ、気分が高まってきます。
亭主がお迎えに出て来られたら、無言で挨拶を交わして、
いよいよお茶事が始まります。
路地を通って、蹲(つくばい)で手水を使って身も心も清めます。
蹲 つくばい
何でこんなに手順が一杯あるのだろうと、
不思議に思っていましたが、一つ一つの手順を追って体感してゆく過程で、
お庭の緑や水や外気に触れ、癒され、心身共に清められてゆくのですね。
全ての過程は、一服の濃茶をおいしく召し上がっていただくため。
そのために、なんと気の遠くなるような手順と心配りなのでしょう💦
それら一つ一つを丁寧におこないます。
丁寧に行うということは、一つ一つに思いがこもるということです。
そこには 対話 があります。
例えば、準備の段階で、掃除をしているとき、対話しながら行っています。
自分自身とも対話しますが、対象物とも行います。
言葉ではない かもしれませんが、
目で見て、感じて、音を聞いて、感触を確かめながら行います。
庭を掃除するとき、飛び石を掃きながら、箒が石をこする音 を聞き、
苔の色や土の乾き具合を感じます。
打ち水をしながら、木々が呼吸しているのを体感します。
そんな気がするだけでもいいのです。
蹲 つくばい~
そういったことで、
そこにあるものや事と意識が交流しているとしたら・・・。
お客様をお迎えする、そんな私たちの思いが庭に伝わり、
そうすることでその場が居心地のいい場となってゆくとしたら、
とても素敵なことだと思います。
それと同時に、私たちは、意識しなくても、多くのものやことを、
庭の木や土や風や空気から得ていることでしょう。
心の中にある様々な想いや迷い、想念などは
その過程で無意識たちが一掃してくれているそんな気がします。
そして、それらすべてとともに、お客様をお迎えするのです。
これがおもてなしということなのかもしれません。
お茶会 お茶事 お稽古 体験してみたい方、
お問合せは、
和・美・場
日本人は古来より、その美しさを価値判断の基準としてきました。 潔さ、もののあわれ、滅びゆくものへの愛しみ、生まれゆくものへの祝福など、 在り方としての美しさを愛でてきたように思います。 そんな日本人が持って生まれた美しさへの思いを共有し、形にするところ~が、和・美・場~です。 和・美・場では、茶道を通して日本の美しさ、日本人の美への希求を分かち合いたいと思います。
0コメント